日本の古戦場のロケーション






登録している古戦場 基礎情報

武蔵国造の乱
古墳時代
534年
古墳時代に起きた、武蔵国造の笠原氏の内紛


丁未の乱
飛鳥時代
587年
飛鳥時代に起きた内乱。仏教の礼拝を巡って蘇我馬子と対立した物部守屋が乱を起こして、滅ぼされた


乙巳の変
飛鳥時代
645年
中大兄皇子、中臣鎌子が蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼした飛鳥時代の政変


壬申の乱
飛鳥時代
672年
天智天皇の太子・大友皇子に対し弟・大海人皇子が反旗をひるがえした戦い。古代日本でおきた最大の戦いとされる。マーカの位置は最大の激戦が有ったとされる瀬田唐橋付近


藤原仲麻呂の乱
奈良時代
764年
孝謙太上天皇・道鏡と対立した太政大臣藤原仲麻呂が軍事力で政権を奪取しようとして失敗した事件。マーカの位置は戦いになった愛発関付近とされる敦賀市疋田


平将門の乱
平安時代
940年
「新皇」を自称し朝敵となった平将門が藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された戦い。


前九年の役
鬼切部の戦い
平安時代
1051年 - 1062年
陸奥守藤原登任と奥州の豪族安倍の戦い。安部氏が貢租を怠った為、藤原登任が討伐を試みたが安部氏の圧勝となった。マーカの位置は合戦が有った鬼切部とされる若神子原


前九年の役
黄海柵の戦い
平安時代
1051年 - 1062年
安部氏と討伐に向かった源頼義・義家父子の戦い。源頼義・義家父子は大敗を喫した。マーカの位置は黄海(きのみ)合戦の看板がある黄海地区公民館


前九年の役
厨川柵の戦い
平安時代
1051年 - 1062年
源頼義・義家父子と、安部氏の戦い。前九年の役の最終決戦となり、安部氏は滅んだ。マーカの位置は厨川柵があったとされる天昌寺。この北東800m 程の北上川河畔に安部氏館遺蹟がある


後三年の役
金沢柵の戦い
平安時代
1083年 - 1087年
東北地方に覇を唱えていた清原氏を、源義家が滅ぼした戦い。マーカの位置は、義家が馬を停め雁の群れの乱れから伏兵を察し殲滅したとされる立馬郊跡


保元の乱
平安時代
1156年
朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。マーカの位置は後白河天皇側の本拠地となり、源義朝や平清盛らの軍勢が参集したとされる高松殿跡


平治の乱
平安時代
1159年
後白河上皇派の源義朝と、二条天皇派の平清盛の戦い。平家が勝利した。マーカの位置は、平家側武士が集結し合戦の舞台となった六波羅


以仁王の挙兵
平安時代
1180年
以仁王と源頼政が打倒平氏のための蜂起を促す令旨を発し挙兵した事件。露見して追討を受け、宇治平等院の戦いで敗死した。マーカの位置は宇治川を挟んで矢戦になった場所


石橋山の戦い
平安時代
1180年
源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦い。頼朝は惨敗し山中に逃げのびた。マーカの位置の北側50m ほどの所には、討ち死にした佐奈田与一を祀った佐奈田霊社がある


富士川の戦い
平安時代
1180年
源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦。平家軍は、水鳥の大群が飛び立つ羽音に驚き総崩れになったとされる。マーカの位置は平家越えの碑。現在の富士川は流れが変わったため、実際にはマーカの付近が戦場だったようである


倶利伽羅峠の戦い
平安時代
1183年
源(木曽)義仲が平家軍の大軍を破った戦い。数百の牛の角に松明をつけて放ち、平家軍を倶利伽羅峠の断崖に追い落としたとされる


宇治川の戦い
平安時代
1184年
源(木曽)義仲と源範頼、源義経とで戦われた合戦。義仲は脱出をはかるが討ち取られた。マーカの位置は宇治川先陣の碑


一ノ谷の戦い
平安時代
1184年
源義経、範頼の源氏軍が、平家軍の集結する一ノ谷を襲った戦い。有名な「鵯越」の逆落としの場所は実際には、鉢伏山だったのではないかとされている


屋島の戦い
平安時代
1185年
源義経が、四国に逃れ勢力を挽回しようとしていた平家を急襲し破った戦い。マーカの位置は平家陣屋の「総門」跡


壇ノ浦の戦い
平安時代
1185年
源義経が平家一門を滅ぼした最後の戦い。当初平家が優勢だったが潮の流れが変わった後、義経側が押しかえし勝敗が決した。


衣川の戦い
平安時代
1189年
源義経が藤原氏に討たれた戦い。藤原秀衡は源頼朝の勢力が奥州に及ぶことを警戒し、義経を立てて鎌倉に対抗しようとしたが病没した。後を継いだ泰衡は鎌倉の圧力に屈して、父の遺言を破り、義経主従を衣川館に襲った戦い


奥州合戦
阿津賀志山の戦い
平安時代
1189年
鎌倉幕府と、奥州藤原氏の間の合戦。藤原氏は源義経を殺し源頼朝に服従の意を示したが、源頼朝は幕府による統一支配のため、戦上手の義経が居なくなった藤原氏を結局滅ぼした。


梶原景時の変
鎌倉時代
1199年
源頼朝死後、政変に敗れた梶原景時が京に落ちる途中に起きた合戦。マーカの場所は景時が討死した牛谷山(現・梶原山)


承久の乱
鎌倉時代
1221年
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱。尾張から京にかけて何度か合戦を繰り返し、最後は宇治川を突破した幕府軍が京になだれ込んだ。吾妻鏡によれば幕府軍は19万に及んだという


千早城の戦い
鎌倉時代
1333年
後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった千早城をめぐる包囲戦。攻めきれず幕府側が撤退して終わった


分倍河原の戦い
鎌倉時代
1333年
北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞軍の間の合戦。新田軍が決定的な勝利を収めたことで幕府軍は完全に守勢に転じた。マーカの位置は分倍河原古戦場碑


手越河原の戦い
室町時代
1335年
後醍醐天皇側の新田義貞と足利氏側の足利直義の間の戦い。新田義貞の夜襲により新田氏が勝利した。マーカの位置は手越原古戦場跡碑のある みずほ公園


コシャマインの戦い
室町時代
1457年
和人に対するアイヌの武装蜂起。コシャマインの死後収束した。マーカ位置はコシャマインが討死したとされる花沢館跡地


伊豆討ち入り
戦国時代
1493年 - 1498年
北条早雲が伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃し、その後5年間で伊豆の国を制圧した戦い。東国戦国時代の幕開けとされる。マーカの位置は堀越御所跡とされる場所


九頭竜川の戦い
戦国時代
1506年
九頭竜川を挟んで朝倉氏と北陸一向宗との間に起こった合戦。夜襲により朝倉氏が勝利した。マーカの位置は朝倉軍の本陣があったとされる中ノ郷


大物崩れ
戦国時代
1531年
大物崩れ(だいもつくずれ)は、赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍が、細川高国・浦上村宗の連合軍を破った戦い


吉田郡山城の戦い
戦国時代
1540年 - 1541年
当時大内氏に従属していた毛利元就と尼子晴久との戦い。毛利氏が吉田城を守り抜き尼子氏を追い返した。マーカの位置は吉田城を攻める際、尼子氏が本陣を置いていた岡


第一次月山富田城の戦い
戦国時代
1542年 - 1543年
大内氏・毛利氏連合軍と尼子氏の戦い。尼子氏が耐え抜き、連合軍は撤退。マーカの位置は連合軍が最後に本陣を置いた京羅木山付近。


河越城の戦い
戦国時代
1546年
北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が河越城をめぐって戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦い


砥石城の戦い
戦国時代
1550年
武田信玄と北信濃の村上義清との間に勃発した砥石城攻防戦。武田信玄の生涯の中で、砥石城の戦いは最大の負け戦といわれている


川中島の戦い
戦国時代
1553年 - 1564年
武田信玄と上杉謙信の間で行われた5度に渡る会戦。マーカの位置は、山本勘助らが戦死した1561年の激戦の舞台になった八幡原


厳島の戦い
戦国時代
1555年
毛利元就と陶晴賢との間で行われた合戦。陶晴賢は討死し、中国地方全体の勢力図を大きく塗り替えることとなった。マーカの位置は宮尾城跡地


長良川の戦い
戦国時代
1556年
斉藤義龍と、父斉藤道三の戦い。女婿織田信長の救援も空しく道三は討ち取られる。マーカの位置は道三塚。


桶狭間の戦い
戦国時代
1560年
西上する今川義元の大軍を、奇襲により織田信長が破った戦い。今川義元は討死し今川軍は撤退した。


小田原城の戦い
戦国時代
1560年
上杉謙信を中心とする北関東諸侯軍が北条氏を攻めた戦い。北条氏康本拠の小田原城まで達したが武田信玄が信州進出の動きを見せたため撤収。マーカの位置は小田原城の攻防があったとされる蓮池門付近


第二次月山富田城の戦い
戦国時代
1562年 - 1565年
毛利元就と尼子氏の戦い。元就は月山戸田城を包囲し兵糧攻めにした。尼子氏は降伏し滅亡した。


長島一向一揆
戦国時代
1567年 - 1574年
伊勢長島を中心とした地域で本願寺門徒らが蜂起した一向一揆。織田信長と戦い一揆は全滅した。マーカの位置は長島城があったとされる地点


箕作城の戦い
戦国時代
1568年
足利義昭を奉じて上洛の途にあった織田信長と近江守護である六角氏との間で行なわれた戦い。激戦となったが結局1日で落城した。マーカの位置は箕作城跡。


勝竜寺城の戦い
安土桃山時代
1568年
織田信長と三好三人衆の間で行われた戦い。信長上洛後、三好三人衆の一人、岩成友通が勝竜寺城に籠っていた。信長は柴田勝家らに命じ攻め落とさせた。


金ヶ崎の戦い
安土桃山時代
1570年
織田・徳川連合軍の越前からの撤退戦。織田・徳川連合軍は越前の朝倉領に侵攻したが、途中浅井氏の裏切りを知り撤退する。金ヶ崎は、殿軍となった木下藤吉郎、明智光秀、徳川家康などが奮戦した場所


姉川の戦い
安土桃山時代
1570年
織田・徳川連合軍と浅野・朝倉連合軍の戦い。織田・徳川方が勝利した


比叡山焼き討ち
安土桃山時代
1571年
織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにした戦い。寺社堂塔500余棟が全て灰になり僧侶男女3000が皆殺しにあったとされている。


三方ヶ原の戦い
安土桃山時代
1572年
西上中の武田信玄と徳川家康の戦い。徳川家康が完敗して終わった。マーカの位置は三方ヶ原合戦碑。


野田城の戦い
安土桃山時代
1573年
三河国野田城をめぐり、武田家と徳川家の間で行われた戦い。武田軍が取り囲んでいる最中に信玄が病に倒れ、武田軍は甲州に撤退していった


若江城の戦い
安土桃山時代
1573年
若江城で行なわれた織田軍と三好義継軍の合戦。織田方の佐久間信盛が率いる大軍の前に内通者を出し敗北。三好本家は滅亡した。


長篠の戦い
安土桃山時代
1575年
織田信長・徳川家康連合軍が多数の鉄砲を使って、武田勝頼の騎馬軍を破った戦い。マーカの位置は決戦の場の設楽ヶ原。


四万十川の戦い
安土桃山時代
1575年
長宗我部氏と一条氏の戦い。この合戦によって長宗我部元親が土佐を統一した


天王寺の戦い
安土桃山時代
1576年
天王寺砦をめぐった織田信長と石山本願寺の戦い。救援に来た信長自身が攻撃の先頭に立つほどの激戦だったが、織田方の勝利に終わった


第一次木津川口の戦い
安土桃山時代
1576年
石山本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利を中心とする瀬戸内の水軍と、織田の水軍の戦い。瀬戸内水軍の火矢攻撃により織田方は惨敗した


織田信長の雑賀攻め
安土桃山時代
1577年
織田信長の雑賀侵攻。雑賀衆は一旦は信長に降伏したが、半年後にはすぐ叛いた


手取川の戦い
安土桃山時代
1577年
加賀国(石川県)の手取川において上杉謙信軍が織田信長軍を破ったとされる合戦


信貴山城の戦い
安土桃山時代
1577年
織田信長に対して謀反を起こした松永久秀に対する討伐。信貴山城は落城し、松永久秀は自決した。


第二次木津川口の戦い
安土桃山時代
1578年
石山本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利・村上水軍と、織田水軍の2度目の戦い。信長の建造させた鉄甲船により毛利水軍は敗退した


上月城の戦い
安土桃山時代
1578年
上月城で毛利輝元と羽柴秀吉の支援を受けた尼子勝久との間で行われた合戦。秀吉が救援できず城を囲んだ毛利方の勝利となった。マーカの位置は上月城跡


三木合戦
安土桃山時代
1578年 - 1580年
織田氏と別所氏の合戦。織田方の羽柴秀吉が三木城を兵糧攻めにしたことにより開城し終結した


天正伊賀の乱
安土桃山時代
1581年
織田軍による伊賀侵攻。マーカの位置は百地三太夫が最後の決戦地としたとされる柏原城跡


鳥取城の戦い
安土桃山時代
1581年
織田氏の羽柴秀吉と毛利氏の毛利経家の戦い。秀吉が兵糧攻めにし経家の自決と引き換えに開城させた


備中高松城の水攻め
安土桃山時代
1582年
羽柴秀吉が毛利氏の清水宗治が守備する高松城を水攻めにした戦い。秀吉は開城後すぐ中国大返しにより明智光秀との山崎の戦いにのぞむことになる


本能寺の変
安土桃山時代
1582年
織田家家臣 明智光秀が謀反をおこし織田信長を討った戦い


山崎の戦い
安土桃山時代
1582年
織田信長を討った明智光秀と、中国地方から引き換えしてきた羽柴秀吉の間の戦い。秀吉が勝利した。現在の478号線を挟んで両軍が対峙したとされる


賤ヶ岳の戦い
安土桃山時代
1583年
羽柴秀吉と柴田勝家との戦い。秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となった。


小牧・長久手の戦い
小牧の戦い
安土桃山時代
1584年
小牧山に陣取っていた徳川家康と、小牧山の北東5kmほどの楽田に本陣を構えた羽柴秀吉の間の膠着状態。マーカの位置は小牧山。


小牧・長久手の戦い
長久手の戦い
安土桃山時代
1584年
小牧の膠着状態を打破するため、家康本拠地の三河を直接衝こうとしたした羽柴秀吉方の池田恒興、森長可軍と、その動きを察知した家康軍の戦い。家康は羽柴方を壊滅させた後すぐ小牧山に戻った


人取橋の戦い
安土桃山時代
1585年
伊達政宗と佐竹氏の戦い。6千の伊達軍に対し3万の佐竹軍がぶつかり、佐竹氏の優勢に終わったとされる。


岩屋城の戦い
安土桃山時代
1586年
薩摩の島津氏が、大友氏の家臣・高橋紹運が籠る岩屋城を落とした戦い。高橋紹運は僅か763人で島津軍数万に対し半月間守り通し、島津軍に多大な犠牲を与えながら全滅した壮絶な戦いがあったとされる


戸次川の戦い
安土桃山時代
1587年
豊臣秀吉による九州平定の中に、島津勢と豊臣方の仙石秀久、長宗我部元親・信親父子、大友義統、十河存保率いる豊臣勢の間で行なわれた戦い。仙石秀久の無謀な指揮で豊臣方は敗退し、長宗我部信親・十河存保は討死した


九州の役
根白坂の戦い
安土桃山時代
1587年
豊臣秀吉軍と島津義久軍による合戦。九州征伐の主戦場となった。秀吉の異母弟、秀長率いる豊臣方が勝利した。


大崎合戦
安土桃山時代
1588年
伊達政宗軍と大崎義隆・最上義光連合軍との戦い。伊達政宗は留守政景を大将として1万近い兵を送ったが、大崎義隆に撃破され撤退した。マーカの位置は大崎軍が籠城した中新田城跡


摺上原の戦い
安土桃山時代
1589年
伊達政宗軍と蘆名義広軍との合戦。烈風の中の合戦であったと伝えられる。蘆名氏は滅亡し、伊達政宗は広大な領土を得ることになった


小田原の役
山中城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した山中城をめぐる戦い。北条方の松田康長以下4000人が籠る山中城を徳川家康、羽柴秀次以下6万以上の軍が囲み、ものの数時間で落城させた


小田原の役
韮山城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した韮山城をめぐる戦い。北条方の北条氏規以下3600人が籠る韮山城を織田信雄らの17000人の軍が囲んだが、3カ月近く攻め落とせず、包囲のための一部の兵を残して、主力は小田原に転進させられた


小田原の役
下田城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した下田城をめぐる戦い。北条方の清水康英以下600人が籠る下田城を50日に渡る籠城戦の後、長宗我部元親、九鬼嘉隆らの10000人の水軍が攻略。


小田原の役
松井田城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した松井田城をめぐる戦い。北条方の大道寺政繁以下2000人が籠る松井田城を前田利家、上杉景勝、真田昌之らの35000人の軍が攻略


九戸政実の乱
安土桃山時代
1591年
南部家家臣の九戸政実が南部家に対して挙兵した合戦。南部信直は、単独での討伐を諦め豊臣秀吉に支援を要請。豊臣秀次を総大将とする6万の軍勢が派遣され、鎮圧された。


白石城の戦い
安土桃山時代
1600年
石田三成の挙兵に呼応した上杉景勝、直江兼続軍に対し、徳川方に付いた伊達政宗が仕掛けた攻撃。政宗は上杉領の白石城を1日で落城させ、翌日には川股城も落とし、上杉氏の動きを封じ込めた。上杉氏は関ヶ原の戦いのため留守になった江戸攻略に動くはずだった


関ヶ原の戦い
安土桃山時代
1600年
徳川家康と石田三成の天下分け目の戦い。


佐和山城の戦い
安土桃山時代
1600年
関ヶ原の戦いで石田三成を破った徳川軍が、三成の居城だった佐和山城を襲った戦い。奮戦空しく落城し、三成の一族は自害して果てた


大坂冬の陣
野田・福島の戦い
江戸時代
1614年 - 1615年
大阪冬の陣において徳川方の水陸軍と豊臣方の水陸軍の戦い。豊臣方が撤退した。マーカの位置は野田城跡碑


大坂夏の陣
道明寺・誉田合戦
江戸時代
1614年 - 1615年
大阪夏の陣の中で発生した戦い。大和(奈良県)方面から押し寄せた徳川方の伊達政宗、水野勝成らの軍が豊臣方の後藤又兵衛、真田幸村らの軍と交戦した。長時間の激戦の末、後藤又兵衛は伊達軍に討ち取られた。真田幸村が押し返したが、退却命令が出たため、豊臣方は撤退していった


大坂夏の陣
天王寺・岡山合戦
江戸時代
1614年 - 1615年
大阪夏の陣の最後の決戦。戦国時代(安土桃山時代)最大で最後の戦いとなった。天王寺、岡山に陣を構える豊臣方に対し、南方から徳川軍が押し寄せた。マーカの位置は真田幸村が本陣を張った茶臼山


島原の乱
江戸時代
1637年 - 1638年
島原藩主の松倉勝家の過酷な年貢の取り立てに対し、領民が起こした反乱。最終的に支援に来た幕府軍に鎮圧されたが、松倉勝家もまた、圧政の責任を問われ斬首された。


シャクシャインの戦い
江戸時代
1669年
松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起。松前藩が、和睦を申し出、和解の酒宴でアイヌの首領シャクシャインを謀殺した


薩英戦争
江戸時代
1863年
生麦事件の報復として英国艦隊が鹿児島を攻撃。鹿児島市は民家数百戸を焼く被害を受けたが、英国側も旗艦艦長が戦死するなど予想外の被害を出した。マーカの位置は、砲台跡。


禁門の変
江戸時代
1864年
幕末における長州藩と、幕府・会津藩・薩摩藩の争い。長州藩が敗北し、その後の長州征伐の原因となった。マーカの位置は激戦のあった蛤御門。現在も弾痕が残る


長州征伐
大島口の戦い
江戸時代
1864年
幕末における長州征伐の中で起きた戦い。幕府海軍が停泊する周防大島に高杉晋作が夜襲をかけ、幕府海軍を追い返し、その後、奇兵隊が大島に残る幕府軍を攻撃した。マーカの位置は、高杉晋作が船の夜襲をかけたとする久賀沖。


長州征伐
石州口の戦い
江戸時代
1864年
幕末における長州征伐の中で起きた戦い。大村益次郎が指揮する長州軍が日本海側を攻め上がり、浜田まで達し、松平氏の浜田城を攻略炎上させた戦い。


長州征伐
小倉口の戦い
江戸時代
1864年
幕末における長州征伐の中で起きた戦い。高杉晋作が指揮する奇兵隊が関門海峡を渡り、門司付近に上陸し、小倉・熊本藩兵との激戦の後、小倉城を炎上させた


戊辰戦争
宇都宮城の戦い
江戸時代
1868年 - 1869年
戊辰戦争の中で起きた戦い。旧新撰組の土方歳三率いる幕府軍が、新政府軍の籠る宇都宮城を陥落させた。その後、大山巌らが率いる新政府軍が宇都宮城を奪還した


戊辰戦争
上野戦争
江戸時代
1868年 - 1869年
戊辰戦争の中で起きた戦い。江戸城開城後、上野に籠る彰義隊に対し、大村益次郎の指揮する新政府軍が攻撃を掛け鎮圧した。現在東京大学がある本郷付近から、不忍池越えに大砲を撃ち掛けたとされる。マーカの位置は彰義隊の本陣があった上野東照宮


戊辰戦争
北越戦争
江戸時代
1868年 - 1869年
戊辰戦争の中で起きた戦い。家老の河井継之助指揮する長岡藩軍と新政府軍の間に起きた戦い。ガトリング砲など新兵器を擁する長岡藩は、新政府軍を苦しめたが、会津へ敗走した。戊辰戦争を通じて最大の激戦の一つとされる


戊辰戦争
会津戦争
江戸時代
1868年 - 1869年
戊辰戦争の中で起きた戦い。薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府と会津藩およびこれを支援する奥羽越列藩同盟などの旧幕府勢力との間で行われた。


戊辰戦争
宮古湾海戦
江戸時代
1868年 - 1869年
函館に籠る旧幕府軍が、函館攻撃のため北進してきた新政府軍の甲鉄艦を接舷斬り込みで奪取しようとし失敗した戦い。旧幕府軍は、軍艦回天を、函館からはるばる宮古まで派遣し、停泊中の甲鉄を奇襲した。この戦いには、旧新撰組の土方歳三や、後の連合艦隊司令長官の東郷平八郎なども参加している


戊辰戦争
箱館戦争(二股口の戦い)
江戸時代
1868年 - 1869年
箱館戦争における戦闘のひとつである。江差方面から函館に迫る新政府軍に対し、土方歳三率いる旧幕府軍が山中の要害を利用し進撃を阻止、新政府軍側の指揮官 駒井政五郎を戦死させた。その後、別ルートから新政府軍が函館に迫り、二股口の戦略的意味がなくなったため撤退した


戊辰戦争
箱館戦争(箱館総攻撃)
江戸時代
1868年 - 1869年
箱館戦争における最後の戦闘。新政府軍が、旧幕府軍の籠る五稜郭の前哨の千代ヶ岡陣屋に迫った。千代ヶ岡陣屋の中島三郎助は、新政府軍の降伏勧告、五稜郭からの撤退命令を拒否して、最後の抵抗を行った。これが箱館戦争最後の戦闘となった。千代ヶ岡陣屋陥落後、五稜郭は降伏した