愛知県近隣の古城・古戦場


愛知県の古城 基礎情報

犬山城 1469年
戦国時代
織田広近

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0 撮影者:ThorstenS)
織田信長の生まれる70年程前に織田広近が砦を建築したのが始まりとされる。その後、織田家の一族・家来が保有していた。信長が本能寺の変で倒れた際は、織田信雄の配下の中川定成が城主をしていたが、突如、池田恒興によって奪われる。これが小牧長久手の戦の引き金になった。江戸期には、成瀬家9代の居城となった。
名古屋城 1609年
江戸時代
徳川家康

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0 撮影者:Miya.m)
織田信長誕生の城とされる那古野城は、信長の時代に一旦廃城となっていた。この場所に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したのが名古屋城である。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されたが、太平洋戦争の際に米軍の空襲を受け、焼失したものを再度復興させたものである。
岡崎城 1452年
室町時代
西郷稠頼・頼嗣

画像出所:wikipedia(CC継承 4.0 撮影者:Bariston)
岡崎城は、三河国仁木氏の守護代 西郷稠頼が築城したもの。それを、徳川家康の祖母の松平清康が奪い取り拡張した。ここで徳川家康は生まれた。家康が今川氏に人質に出されている間、今川氏の城代が置かれていたが、今川義元が桶狭間に戦死した後、徳川家康が岡崎城を接収し独立した。戦国国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。
長篠城 1508年
戦国時代
菅沼元成

画像出所:wikipedia(GFDL)
菅沼元成が築城。菅沼氏は、徳川家康に服属していたが、城主の菅沼正貞は、武田方に付いた。信玄の急病により、武田軍は本国へ撤退すると再度、徳川家康によって攻め奪られる。以後、家康によって武田軍の城が拡張される。1575年、武田勝頼は2万5千の兵を率いて長篠城を攻め囲み、長篠の戦いが始まる。織田・徳川連合軍が救援に来るまで、奥平信昌は僅か500人の手勢で守り抜いたが、損傷が激しく、長篠の戦いの後廃城となった。


愛知県の古戦場 基礎情報

桶狭間の戦い
戦国時代
1560年
西上する今川義元の大軍を、奇襲により織田信長が破った戦い。今川義元は討死し今川軍は撤退した。


野田城の戦い
安土桃山時代
1573年
三河国野田城をめぐり、武田家と徳川家の間で行われた戦い。武田軍が取り囲んでいる最中に信玄が病に倒れ、武田軍は甲州に撤退していった


長篠の戦い
安土桃山時代
1575年
織田信長・徳川家康連合軍が多数の鉄砲を使って、武田勝頼の騎馬軍を破った戦い。マーカの位置は決戦の場の設楽ヶ原。


小牧・長久手の戦い
小牧の戦い
安土桃山時代
1584年
小牧山に陣取っていた徳川家康と、小牧山の北東5kmほどの楽田に本陣を構えた羽柴秀吉の間の膠着状態。マーカの位置は小牧山。


小牧・長久手の戦い
長久手の戦い
安土桃山時代
1584年
小牧の膠着状態を打破するため、家康本拠地の三河を直接衝こうとしたした羽柴秀吉方の池田恒興、森長可軍と、その動きを察知した家康軍の戦い。家康は羽柴方を壊滅させた後すぐ小牧山に戻った