愛媛県近隣の古城・古戦場


愛媛県の古城 基礎情報

今治城 1602年
安土桃山時代
藤堂高虎

画像出所:wikipedia(CC0 撮影者:ぺ有家音)
1602年、藤堂高虎によって築城開始された江戸期の城で、1604年に完成した。三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。
湯築城 不明年
鎌倉時代
河野氏、小早川氏、福島氏

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0 撮影者:Reggaeman)
1535年頃、河野通直によって外堀が造られたとされる。 1585年、四国征伐をめざす羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して湯築城の河野氏は約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城に留まっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。1587年、福島正則が城主となるが、国分山城に居城を移したため廃城となった。
松山城 1602年
安土桃山時代
加藤嘉明

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン 撮影者:Urashimataro)
加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでの戦功により20万石に加増され、平山城の築城に着手した。1603年嘉明が、この地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。しかし嘉明は、松山城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生忠知が24万石の松山藩主になる。蒲生家が断絶の後、松平定行が15万石の藩主となり、明治期まで松平藩であった。大天守が現存している12の城の一つである。
大洲城 1331年
鎌倉時代
宇都宮豊房

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0)
この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で、元徳3年(1331年)のことであるといわれている。その後江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。
宇和島城 941年
平安時代
橘遠保

画像出所:wikipedia(CC0 撮影者:ぺ有家音)
1236年 西園寺公経が宇和島地方を勢力下に置き、現在の城山に砦程度の城を築く。1601年に藤堂高虎の手で現在の城郭が完成、宇和島城と名付けられる。1615年に伊達政宗の子である秀宗が入城。その後明治期まで仙台伊達藩の分家として宇和島伊達藩として残る。


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