広島県近隣の古城・古戦場


広島県の古城 基礎情報

福山城 1622年
江戸時代
水野勝成

画像出所:wikipedia(CC BY 2.1 jp)
福山城は江戸期の1615年の一国一城令発布後の1622年に竣工した城である。大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった城である。
郡山城 1336年
室町時代
毛利時親

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン 撮影者:1467jp)
建武3年(1336年)吉田荘の地頭職として毛利時親が下向し、砦程度の小規模な城が毛利氏によって築かれたと推定されている。その後、毛利家12代目にあたる毛利元就が登場する1523年までは大きな変化はなかった。元就は戦国大名への脱皮を図り、郡山全体に城域を拡張していく。郡山全域の城郭化が始まったのは元就の晩年と考えられており、1540年から翌年正月まで続いた尼子氏との吉田郡山城の戦いの頃はまだ拡張前だった。この戦いでは最終的に尼子晴久率いる3万の大軍を撃退した。その後毛利家拡大の中心地となったが、山間部の盆地に位置する吉田郡山城は交通の便も悪く、1591年に広島城がほぼ完成すると、吉田郡山城は毛利氏の本拠としての役割を終え廃城となった。
広島城 1589年
安土桃山時代
毛利輝元

画像出所:wikipedia(CC0 撮影者:Hiroaki Kikuchi)
1589年、毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年まで天守を始めとする城郭建築が現存し点在していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである


広島県の古戦場 基礎情報

吉田郡山城の戦い
戦国時代
1540年 - 1541年
当時大内氏に従属していた毛利元就と尼子晴久との戦い。毛利氏が吉田城を守り抜き尼子氏を追い返した。マーカの位置は吉田城を攻める際、尼子氏が本陣を置いていた岡


厳島の戦い
戦国時代
1555年
毛利元就と陶晴賢との間で行われた合戦。陶晴賢は討死し、中国地方全体の勢力図を大きく塗り替えることとなった。マーカの位置は宮尾城跡地