宮城県の城郭と古戦場


青葉城(仙台城)
伊達政宗は、今の山形県米沢市で、伊達家の嫡男として生まれました。幼い頃から、当時としては珍しく、父の温かい愛情を受けて育ち、禅の名僧として知られていた虎哉宗乙(こさいそういつ)を師として付けられました。これまた当時としては珍しく、政宗の生涯を通じた師弟関係になりました。

政宗は、家督を譲られたのが18歳でしたが、わずか22歳にして、会津若松にあった芦名氏を摺上原の戦いにおいて滅ぼします。東北地方の一豪族に過ぎなかった伊達家を、百万石を超える大大名にのし上げます。その後、豊臣秀吉の時代に、伊達氏は米沢から国替えになり、現在の仙台に転封になりました。徳川家康の時代に、政宗は青葉城(仙台城)を築いています。

青葉城城主跡の広場


大崎合戦


大崎合戦で伊達勢を撃退した中新田城跡
伊達領の北側に拠を構える大崎氏の内部で、当主の大崎義隆の寵童同士による争いが家中の内紛へと発展しました。大崎家の重臣から、伊達家に援軍の派遣が要請されました。伊達政宗は、1万に近い大軍を送ったとされますが、これを率いていた留守政景と泉田重光の意見の対立があるまま戦端が開かれ、散々に破られてしまいます。

伊達氏が弱ったと見た、南側の芦名・佐竹氏、西側の最上氏などから、伊達政宗は領土の侵食を受けることになりました。余計なことに首を突っ込んだことで、絶体絶命のピンチに陥りました。しかし、南部戦線を担当していた伊達成実・片倉小十郎らが、芦名氏を調略により追い払い、最上氏とは、最上家から来ていた政宗の母が、仲裁に入ることで何とか状況を落ち着かせることができました。翌年、政宗が、摺上原の戦いにおいて芦名氏を滅ぼすと、東北地方の勢力バランスが崩れ、大崎氏も伊達氏に再び帰順することになりました。


見所


青葉城から、仙台市街地を一望することができます。青葉城は石垣は残っていますが、建物は残っていません。その代わり、伊達政宗の巨大な騎馬像が建てられています。日光を背にした伊達政宗像のシルエットは、鳥肌が立つほどかっこいいです。また、青葉城を歩いて降りたところに、仙台市博物館があります。伊達政宗の鎧兜などが展示されています。この兜の形が、スターウォーズにおけるダースベーダーのモチーフになったそうです。


伊達政宗像

伊達政宗の鎧兜


仙台市中心部から車で北に40分ほど行ったところに日本三景の一つ、松島があります。遊覧船が出ており、かもめが戯れてきます。また、松島のすぐそばに、伊達政宗が建てた国宝瑞巌寺があります。


日本三景「松島」の遊覧船上

国宝 瑞巌寺


Nippon レンタカーのご予約はこちら:国内有数の営業所数を誇り、ホームページの使いやすさもレンタカー業界最高水準!即時予約・全国の営業所の検索・空車照会・料金照会を行うことが可能です。禁煙車・ETC搭載車・24時間営業所など、新たなサービス展開中


おすすめの宿


仙台ロイヤルパークホテル

杜の都・仙台市の郊外に、ヨーロッパ風の瀟洒な7階建ての館と、それを囲む洋風庭園がひときわ目を引く優美なホテルがあります。それが仙台ロイヤルパークホテルです。11月1日から3月1日までの秋冬シーズンには庭園や建物がイルミネーションで彩られ、その輝きが一層アップします。客室のバルコニーからは緑濃き仙台市街地が望め、リゾートホテルのくつろぎ感を醸し出します。




ホテル大観荘

松島の眺望を一望できる最高のロケーションにある、松島随一の大型ホテルです。




松島佐勘松庵

奥松島の入口にある小さな岬に佇む11室の隠れ家風情の宿。松林を散策すれば本当の美しい松島が感じられます。潮騒・松風・料理を堪能してください




関連書籍



伊達政宗
山岡荘八の名作「伊達政宗」全六巻。戦乱の嵐が吹きすさぶ永禄十年。伊達家に奥羽の歴史を塗り替える男児が誕生した。幼名を梵天丸。後年、独眼竜の異名で恐れられた、乱世の英雄、伊達政宗の青春と天下取りへの野望を描いた長編小説。



宮城県近隣の古城・古戦場


宮城県の古城 基礎情報

多賀城 724年
奈良時代
大和朝廷(大野東人?)

画像出所:wikipedia(CC0 撮影者:Saigen Jiro)
律令時代に、陸奥国に設置された城。大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた塩釜丘陵上に設置した
青葉城 1601年
安土・桃山時代
伊達政宗

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン 撮影者:Kinori)
慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城である
飫肥城 不明年
戦国時代
土持氏

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン 撮影者:ja:User:Sanjo)
飫肥城(おびじょう)は土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられている。室町時代末期の1458年、島津氏が、鎌倉時代から日向で勢力を蓄えてきた伊東氏の南下に備えて部下を入城させた。しかし、秀吉の島津征伐で伊東氏がこの地を獲得。その後明治期まで伊東氏の持ち物となった


宮城県の古戦場 基礎情報

前九年の役
鬼切部の戦い
平安時代
1051年 - 1062年
陸奥守藤原登任と奥州の豪族安倍の戦い。安部氏が貢租を怠った為、藤原登任が討伐を試みたが安部氏の圧勝となった。マーカの位置は合戦が有った鬼切部とされる若神子原


大崎合戦
安土桃山時代
1588年
伊達政宗軍と大崎義隆・最上義光連合軍との戦い。伊達政宗は留守政景を大将として1万近い兵を送ったが、大崎義隆に撃破され撤退した。マーカの位置は大崎軍が籠城した中新田城跡


白石城の戦い
安土桃山時代
1600年
石田三成の挙兵に呼応した上杉景勝、直江兼続軍に対し、徳川方に付いた伊達政宗が仕掛けた攻撃。政宗は上杉領の白石城を1日で落城させ、翌日には川股城も落とし、上杉氏の動きを封じ込めた。上杉氏は関ヶ原の戦いのため留守になった江戸攻略に動くはずだった