滋賀県近隣の古城・古戦場


滋賀県の古城 基礎情報

小谷城 1516年
戦国時代
浅井亮政

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浅井亮政が築城した後、3代にわたって浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られた。織田氏と結んでいた浅井氏が、織田氏に対し反抗してから、4年間織田信長に攻められ、落城した。その後、北近江の拠点は当時、羽柴秀吉が居城としていた長浜城に移されたために廃城となった。
彦根城 1622年
江戸時代
井伊直継

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徳川四天王の一人・井伊直政は、関ヶ原の戦いの後、近江国北東部に封ぜられ石田三成の居城であった佐和山城に入城した。直政は居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年に死去した。 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年琵琶湖に浮かぶ彦根山に彦根城を築城した。その後、幕末まで彦根藩の居城となった。
安土城 1576年
安土桃山時代
織田信長

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0)
織田信長の天下布武の拠点として 1576年に築城された。大型の天守を初めて持つ威容を誇ったが、1582年の家臣明智光秀の信長への謀反、いわゆる本能寺の変後、焼失、その後廃城となった。現在は石垣などの一部の遺構を残すのみ。織田信長の性格および、各地に軍団を派遣するだけ、という当時の織田家の強勢を反映し、城まで石段が続き、「防御」という概念が全くない城であったという。
観音寺城 不明年
戦国時代
六角氏頼

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正確な築城年は定かではない。南北朝時代には築かれていたと考えられている。応仁の乱の際には3度も、観音寺城の攻城戦が展開される。戦国時代には大幅な城の改築が行われるが、1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を興すと六角氏は敵対した。信長に支城の箕作城と和田山城を落とされると、六角義賢・義治父子は観音寺城から逃げ開城した。そのまま廃城になったものと考えられる。


滋賀県の古戦場 基礎情報

壬申の乱
飛鳥時代
672年
天智天皇の太子・大友皇子に対し弟・大海人皇子が反旗をひるがえした戦い。古代日本でおきた最大の戦いとされる。マーカの位置は最大の激戦が有ったとされる瀬田唐橋付近


箕作城の戦い
戦国時代
1568年
足利義昭を奉じて上洛の途にあった織田信長と近江守護である六角氏との間で行なわれた戦い。激戦となったが結局1日で落城した。マーカの位置は箕作城跡。


姉川の戦い
安土桃山時代
1570年
織田・徳川連合軍と浅野・朝倉連合軍の戦い。織田・徳川方が勝利した


賤ヶ岳の戦い
安土桃山時代
1583年
羽柴秀吉と柴田勝家との戦い。秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となった。


佐和山城の戦い
安土桃山時代
1600年
関ヶ原の戦いで石田三成を破った徳川軍が、三成の居城だった佐和山城を襲った戦い。奮戦空しく落城し、三成の一族は自害して果てた