静岡県近隣の古城・古戦場


静岡県の古城 基礎情報

山中城 1558年
戦国時代
北条氏康

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン 撮影者:Mocchy)
北条氏にとって小田原の西の防衛を担う拠点で、城は東海道に面して作られていた。北条征伐の際、豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、北条氏勝ら4千の兵は奮戦し、豊臣方は多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の武将や城兵の多くが討死した。征伐後、廃城になった。
駿府城 不明年
戦国時代
今川氏

画像出所:wikipedia(CC0 撮影者:Saigen Jiro)
室町時代、駿河守護に任じられた今川氏により今川館が築かれたが、武田氏の駿河侵攻により一度城館は失われた。武田氏が、織田・徳川勢に滅ぼされると、徳川家康の手で、近代城郭として築城しなおされた。その後、将軍職を秀忠に譲った徳川家康は、駿府に隠居した。この際に、更に大改修が行われ3重の堀を持つ輪郭式平城になった。
掛川城 不明年
戦国時代
朝比奈泰煕

画像出所:wikipedia(パブリックドメイン)
駿河の守護大名今川義忠が、朝比奈泰煕に命じて築城した。桶狭間の合戦の後、今川家は、武田信玄と徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、徳川家康の手に落ちた。その後、家康が関東に移ると、山内一豊が入城した。山内一豊が掛川城を大きく拡張した。関ヶ原後、山内一豊は土佐に移り、江戸期には多くの譜代大名が入った。


静岡県の古戦場 基礎情報

富士川の戦い
平安時代
1180年
源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦。平家軍は、水鳥の大群が飛び立つ羽音に驚き総崩れになったとされる。マーカの位置は平家越えの碑。現在の富士川は流れが変わったため、実際にはマーカの付近が戦場だったようである


梶原景時の変
鎌倉時代
1199年
源頼朝死後、政変に敗れた梶原景時が京に落ちる途中に起きた合戦。マーカの場所は景時が討死した牛谷山(現・梶原山)


手越河原の戦い
室町時代
1335年
後醍醐天皇側の新田義貞と足利氏側の足利直義の間の戦い。新田義貞の夜襲により新田氏が勝利した。マーカの位置は手越原古戦場跡碑のある みずほ公園


伊豆討ち入り
戦国時代
1493年 - 1498年
北条早雲が伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃し、その後5年間で伊豆の国を制圧した戦い。東国戦国時代の幕開けとされる。マーカの位置は堀越御所跡とされる場所


三方ヶ原の戦い
安土桃山時代
1572年
西上中の武田信玄と徳川家康の戦い。徳川家康が完敗して終わった。マーカの位置は三方ヶ原合戦碑。


小田原の役
山中城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した山中城をめぐる戦い。北条方の松田康長以下4000人が籠る山中城を徳川家康、羽柴秀次以下6万以上の軍が囲み、ものの数時間で落城させた


小田原の役
韮山城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した韮山城をめぐる戦い。北条方の北条氏規以下3600人が籠る韮山城を織田信雄らの17000人の軍が囲んだが、3カ月近く攻め落とせず、包囲のための一部の兵を残して、主力は小田原に転進させられた


小田原の役
下田城の戦い
安土桃山時代
1590年
秀吉の北条征伐(小田原の役)の中で発生した下田城をめぐる戦い。北条方の清水康英以下600人が籠る下田城を50日に渡る籠城戦の後、長宗我部元親、九鬼嘉隆らの10000人の水軍が攻略。