山口県の城郭と古戦場

萩城(指月城)

美しい武家屋敷の町並みが今に残る山口県萩市。海に突き出るような形で、毛利長州藩の居城であった指月城の跡地があります。海からの攻撃ですぐ落城するような場所に、城を作らざるを得なかったことからも、関ヶ原の戦い以降、徳川家康に睨まれていた毛利家の苦しい立場が伺い知れます。



壇ノ浦の合戦

源氏と平家の最終決戦の場所は、下関海峡でした。源氏の船と、平家の船は、潮に流されながら戦います。最初は、潮の流れの後押しを受けた平家の軍が、優勢に戦いを進めます。しかし、源義経は、潮の流れが変わるまで耐え切れば勝てると思っていました。潮の流れが変わるや、源氏の船団が一気に逆襲します。平家一門最強の武将であった平知盛は、義経を追いますが、義経は船から船へと跳び移って行き、ついに斬りかかることもできません。平家の敗戦を見届け、知盛は、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したと言われています。




第二次長州征伐:大島口の戦い

第二次長州征伐の際、幕府勢力が大島に上陸し、土地の住民に対し乱暴狼藉を働きました。長州藩の戦略としては、戦線拡大を抑えるため、大島は放棄することに決まっていましたが、島からの報告を受け、戦略を転換します。高杉晋作が、中型の艦船1隻に乗り込み、幕府海軍の大型艦4隻が停泊する大島沖に、夜間ひそかに現れます。航行に危険が伴うため、当時、船の夜襲ということは考えられない時代でしたが、晋作は、運を頼りに、舷がぶつかるような距離まで近づき、砲撃を開始しました。幕府艦隊は罐の火も落としていたため、動くことが出来ず、大混乱に陥りました。夜間のこと、相手も確認できず、同士討ちを始めます。翌日朝には被害を受けた幕府艦隊は撤退していきます。大島に残された幕府部隊は、長州藩の 世良修蔵が指揮する陸軍部隊により、掃討されました。



第二次長州征伐:小倉口の戦い

第二次長州征伐の際、幕府軍は、小倉から下関を越えて長州上陸を狙います。これに対し、長州藩は、大島口から戻ってきた高杉晋作が小倉方面指揮官となり、奇兵隊を率いて、逆に福岡に上陸戦を挑みます。上陸しては、幕府方の防砦を破壊し、また船で戻るということを2度繰り返し、3度目の上陸戦で、とうとう幕府側の拠点、小倉城まで陥落させます。小倉城を陥落させた時、高杉晋作の結核は、死の淵まで進行していました。

長州軍の侵攻経路


見所




山口県萩市。長州藩の藩都だったこの静かな城下町から、明治維新を進めた英雄・豪傑が雲のように沸き出て来たとは、俄かには信じられません。高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊介(伊藤博文)、井上聞多(井上馨)、来島又兵衛、大村益次郎、久坂玄瑞といった人物が短期間に排出されました。これ程短期間に、有能な人材が多数輩出された原因を一つ挙げるとすれば、吉田松陰の存在でしょう。吉田松陰の松下村塾に通っていた人材が、松陰に火をつけられ明治維新の推進力になったことは間違いありません。


萩市全景


武家屋敷



高杉晋作の生家や、伊藤博文の生家は、今でも残っています。また松下村塾も残されています。高杉晋作は、藩校に通う傍ら、親の目を盗んで松下村塾に通っていたと言われます。晋作の家から松下村塾までは、歩くと20~30分。少し距離はあります。後に、幕府軍を散々に破り、奇兵隊を引き連れ、下関海峡を押し渡って、幕府の牙城 小倉城をも陥落させた革命児は、若い頃、何を思いながら松陰の塾に通っていたのでしょうか。

松下村塾



秋吉台・秋芳洞

萩市から、山口市の方に抜けていくルートを少し横に入ると、カルスト地形で有名な秋吉台があり、その地下には鍾乳洞で有名な秋芳洞があります。



下関市 功山寺

下関市長府に、高杉晋作の騎馬像がある、功山寺があります。当時、尊王攘夷の貴族が京から落ち延びて、ここ功山寺に滞在していました。当時、第一次長州征伐に破れ、長州藩は佐幕派が支配していました。高杉晋作は、伊藤俊介と力士隊わずか80人で、長州藩内の革命のため決起します。高杉晋作は、雪の功山寺に、零落貴族たちを訪れ、『今から長州男児の肝っ玉をお目にかけます』と挨拶し革命戦争に飛び込んでいきました。この言葉は、当時方々に喧伝されました。この後、晋作は、下関の代官所を占領し、三田尻で長州海軍の軍艦を奪取し、勢力を拡大し、萩から派遣されたの長州藩正規軍を破り、長州藩を再び反幕路線に戻します。わずか80人ほどの部隊と共に、信じられない程の度胸で、革命戦を開始し、成功させた訳です。この後、薩長同盟、第二次長州征伐、大政奉還、戊辰戦争と進んでいった、まさに維新回天の礎となったと言えるでしょう。



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おすすめの宿


北門屋敷

江戸時代の風情が色濃く残る萩城三ノ丸、毛利屋敷跡に建つ上質の宿、優雅な「洋」と落ち着いた「和」の融合がここにしかない特別な時間を紡ぎます。




萩八景雁嶋別荘

川と運河が出逢い日本海に注ぐ情緒的水景・松本川河畔に16室の贅沢な大人の寛ぎ宿。各室のテラスと露天風呂から萩八景に謳われる美しい夕景を。




下関グランドホテル

関門海峡を目前に臨み、「海響館」「唐戸市場」「カモンワーフ」へは徒歩1分。対岸門司港レトロ地区へはホテル前から発着の船で約5分。





山口県近隣の古城・古戦場


山口県の古城 基礎情報

岩国城 1601年
安土桃山時代
吉川広家

画像出所:wikipedia(CC継承 3.0 撮影者:user:Mkill)
横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、水の手などの曲輪が配置された。麓には、「御土居」が築かれた。城下町と城の間の錦川には錦帯橋が架けられ、美しい景観となっている。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。 現在、吉香公園として整備され、横山山頂には再建された天守閣がある。
萩城 1604年
江戸時代
毛利輝元

画像出所:wikipedia(CC継承 2.0)
関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として1604年に築いた城。海に突き出した岬の先に築かれた特異な構造をしている。


山口県の古戦場 基礎情報

壇ノ浦の戦い
平安時代
1185年
源義経が平家一門を滅ぼした最後の戦い。当初平家が優勢だったが潮の流れが変わった後、義経側が押しかえし勝敗が決した。


長州征伐
大島口の戦い
江戸時代
1864年
幕末における長州征伐の中で起きた戦い。幕府海軍が停泊する周防大島に高杉晋作が夜襲をかけ、幕府海軍を追い返し、その後、奇兵隊が大島に残る幕府軍を攻撃した。マーカの位置は、高杉晋作が船の夜襲をかけたとする久賀沖。